志賀島からあの頃へタイムスリップの巻♪
さて、感動の「夕陽館」ライブから一夜明けた翌7月24日、この日は夕方からライブの予定なのだ。
14時前後に「由布市塚原」に行けば良かった。
ということで、少々時間の空いたはっちゃん。
この周辺は、はっちゃんが学生時代に4年間過ごした場所である。
時間もあるし、懐かしい場所を訪問するとしよう‥‥と思っていた矢先。
朝食会場のレストランに入ると、はるさんとあつきくんが食事していた。
この辺りの名所について説明する。
そうだ、俺も空いてるので、よかったら近辺を御案内しましょう!
クロさんは用事で中津に帰った後。
カドちゃんを誘おうとしたが、今から朝食らしく「どうぞ3人で」とのことだったため、そのまま向かう事に。
時刻は9時半を回っていた。
俺の車に3人が乗りあわせ、向かうは「金印」で有名な「志賀島」。
ちょうど、この地「和白」は、志賀島への入り口である。
当日は、本当に天気が良く、「所によりにわか雨」が降るという予報。
夏休みに突入し、入道雲と暑い日射しの日曜日。
海水浴客を乗せた車が、朝から列をなして志賀島方面に向かっている。
どうみても、志賀島は元々「島」であったものが、堆積物で陸続きになったものであろう。
自然に出来た細い道が、「志賀島」まで続いている地形。
渋滞した海岸線を北に走ると、土地は段々細長く、狭くなり、道の両側に海が見えてくる。
左手の海の向こう側には、あの井上陽水の曲で有名な「能古の島」が横たわっている。
サーファーや海水浴客が道の両脇にひしめいているのが見える。
潮風を受けながらすり抜けると、前方に見えてくるのが志賀島。
志賀島に入った辺りは、「海の家」の宝庫だ。
学生のアルバイトだろう、道にずらりと並んで、大きなパフォーマンスで客引きをする。
そんな光景をやりすごし、時計回りに周回する事にした一行は左に折れる。
一周9.5kmの志賀島は、車でゆっくり回っても15分程だ。
金印「漢委奴国王印」‥‥江戸時代に農民によって掘り出された黄金の印章だ。
読みには諸説有るようだが、一般的には「かんのわのなのこくおう」と読むのが定説となっている。
「かんのいとこくのおう(漢の伊都国の王)」(伊都は現在の糸島郡)と読む説もある。
俺はこちらの方が自然な気がするが、皆さんは如何であろうか?
車は程なくして「金印公園」に到着。
金印が見つかったとされる場所だ。
道の脇にある駐車場に駐め、海を眺める。
正面に玄界灘、そして左手は博多湾だ、福岡ドームもキラリと光って見える。
公園への階段を上り、ぐるりも向き直ると、やはり正面は能古の島。
更に高い位置からの絶景である。
金印のモニュメントの脇の案内板を読みながら更に登ると、足下に大きく描かれた古地図で、大陸と志賀島の位置関係を知る事が出来る。
時間もあまりないので程なく車に戻り、更に進む。
この辺りも整備され、少しずつ様変わりしているようだ。
昔、学生時代によくバイクで来ていた場所「国民休暇村」に駐車しようとするが、どこもかしこも満車(>_<)
日曜日だからといって、午前10時過ぎにこんなに多いとは‥‥。
ここは海水浴が出来る砂浜の続く場所だから、親子連れ、カップルが多い。
仕方がないので、砂浜に降りることなくこのまま帰る事に。
海水浴にはもってこいの砂浜有り、ごつごつした岩場ではダイバーが楽しむ、海のレジャーには最高の志賀島。
前をスイスイ走るロードバイクがカッコイイ!
良いトレーニングコースなのだろう。
ということで、志賀島入り口の分岐点に戻ってきた一行。
そのままホテル方面へ戻ることに。
はるさんもあつきくんも、ミニミニ観光に満足戴けたようだ。
11時、ホテルの駐車場に戻り、そのまま2人とお別れをする。
さてここからははっちゃんだけの時間。
向かうは、学生時代に過ごした街「香椎」(かしい)だ。
和白から香椎方面に「和白通り」を走る。
昔、弾き語りのバイトをしていたビルを通り過ぎ‥‥あの頃のバイトの辛さを思い出す。
友達がひき逃げされて、亡くなった踏切を左手に眺めながら‥‥深くため息をつく。
大好きな「しょうが焼き定食」を食べに通った喫茶店「ハロー」は‥‥まだあった!
この辺りはいくつかの大学がある、学生の街だ。
香椎地区の一角、毎日通った「香住丘(かすみがおか)」には、20年も前に我が大学専用の駅も出来て、この辺りは全くと言って良い程、様変わりしている。
駅前の交差点を左に折れ、踏切を渡ると、すぐ右手に「裏門」。
http:// www.kyu san-u.a c.jp/ma p/campu s.html
門には大きな看板が掲げられ、「オープンキャンパス」と書かれている。
ちょうど、イベントのある日だ、こいつは都合が良い(^0^)b
気軽に学内に出入り出来そうだ。
まっすぐ進むと、昔住んでいた「下宿」のあった「松香台(まつかだい)」。
両脇の風景もどこか昔のままだ。
学生時代の友人から、俺が居た下宿「平和荘」が無くなっている、と連絡があったのは数年前。
一つには、それを確かめたかった。
今から30年も昔、木造2階建ての、ポットントイレの、共同風呂の下宿。
果たして‥‥やはり、そこはオシャレなアパートに変身していた。
機材とギターを積んでいるため、日陰の場所を探して車を駐めた。
そこから歩いて行き、アパートの周りを一巡りする。
土煙を上げていたデコボコ道だったアパートの周りは、どこもコンクリートの地面へと変わっていた。
なんだか淋しいなあ‥‥。
そのまま歩を進め、クラブ活動の集合棟「学友会館(学友会棟)」に向かう。
田んぼのあぜ道だったその道すら、大学のビルの建ち並ぶ、コンクリートの谷間になっていた。
守衛所の前を歩く怪しげな男が一人‥‥横目でじろりと見られながら‥‥(^▽^;
学友会棟前のグラウンドでは、大きな掛け声でアメフト部が練習をしている。
そのまままっすぐ学友会棟の中へ‥‥おっと、玄関が閉まっている(>_<)
中を覗くと、イスやら机が積み上げられている‥‥へ?廃屋?
いやいや、そんなわけはないだろう。
グラウンド側の扉は開いてないかな?
回り込んでみると‥‥やはり、解放されている!ラッキー(^0^)b
ここから中を覗くと、ちゃんと各クラブの立て看板が見える。
入ってみよう♪
入り口は半地下のため、薄暗いコンクリートの廊下を中央の階段に向かう。
階段を徐々に上っていくと、管楽器の音が聞こえてくる。
この階段の天然リバーブで、毎日ギターを弾きながら練習していたあの頃。
側には音楽仲間がいつも居た。

ということで、少々時間の空いたはっちゃん。
この周辺は、はっちゃんが学生時代に4年間過ごした場所である。

朝食会場のレストランに入ると、はるさんとあつきくんが食事していた。
この辺りの名所について説明する。

クロさんは用事で中津に帰った後。
カドちゃんを誘おうとしたが、今から朝食らしく「どうぞ3人で」とのことだったため、そのまま向かう事に。

俺の車に3人が乗りあわせ、向かうは「金印」で有名な「志賀島」。
ちょうど、この地「和白」は、志賀島への入り口である。
当日は、本当に天気が良く、「所によりにわか雨」が降るという予報。
夏休みに突入し、入道雲と暑い日射しの日曜日。
海水浴客を乗せた車が、朝から列をなして志賀島方面に向かっている。

自然に出来た細い道が、「志賀島」まで続いている地形。
渋滞した海岸線を北に走ると、土地は段々細長く、狭くなり、道の両側に海が見えてくる。

サーファーや海水浴客が道の両脇にひしめいているのが見える。

志賀島に入った辺りは、「海の家」の宝庫だ。
学生のアルバイトだろう、道にずらりと並んで、大きなパフォーマンスで客引きをする。
そんな光景をやりすごし、時計回りに周回する事にした一行は左に折れる。

金印「漢委奴国王印」‥‥江戸時代に農民によって掘り出された黄金の印章だ。

「かんのいとこくのおう(漢の伊都国の王)」(伊都は現在の糸島郡)と読む説もある。
俺はこちらの方が自然な気がするが、皆さんは如何であろうか?

金印が見つかったとされる場所だ。
道の脇にある駐車場に駐め、海を眺める。

公園への階段を上り、ぐるりも向き直ると、やはり正面は能古の島。
更に高い位置からの絶景である。


この辺りも整備され、少しずつ様変わりしているようだ。
昔、学生時代によくバイクで来ていた場所「国民休暇村」に駐車しようとするが、どこもかしこも満車(>_<)

ここは海水浴が出来る砂浜の続く場所だから、親子連れ、カップルが多い。
仕方がないので、砂浜に降りることなくこのまま帰る事に。

前をスイスイ走るロードバイクがカッコイイ!
良いトレーニングコースなのだろう。

そのままホテル方面へ戻ることに。
はるさんもあつきくんも、ミニミニ観光に満足戴けたようだ。
11時、ホテルの駐車場に戻り、そのまま2人とお別れをする。

向かうは、学生時代に過ごした街「香椎」(かしい)だ。
和白から香椎方面に「和白通り」を走る。

友達がひき逃げされて、亡くなった踏切を左手に眺めながら‥‥深くため息をつく。
大好きな「しょうが焼き定食」を食べに通った喫茶店「ハロー」は‥‥まだあった!

香椎地区の一角、毎日通った「香住丘(かすみがおか)」には、20年も前に我が大学専用の駅も出来て、この辺りは全くと言って良い程、様変わりしている。

http://
門には大きな看板が掲げられ、「オープンキャンパス」と書かれている。

気軽に学内に出入り出来そうだ。

両脇の風景もどこか昔のままだ。
学生時代の友人から、俺が居た下宿「平和荘」が無くなっている、と連絡があったのは数年前。
一つには、それを確かめたかった。

果たして‥‥やはり、そこはオシャレなアパートに変身していた。

そこから歩いて行き、アパートの周りを一巡りする。
土煙を上げていたデコボコ道だったアパートの周りは、どこもコンクリートの地面へと変わっていた。
なんだか淋しいなあ‥‥。

田んぼのあぜ道だったその道すら、大学のビルの建ち並ぶ、コンクリートの谷間になっていた。

学友会棟前のグラウンドでは、大きな掛け声でアメフト部が練習をしている。
そのまままっすぐ学友会棟の中へ‥‥おっと、玄関が閉まっている(>_<)

いやいや、そんなわけはないだろう。
グラウンド側の扉は開いてないかな?
回り込んでみると‥‥やはり、解放されている!ラッキー(^0^)b

入ってみよう♪
入り口は半地下のため、薄暗いコンクリートの廊下を中央の階段に向かう。

この階段の天然リバーブで、毎日ギターを弾きながら練習していたあの頃。
側には音楽仲間がいつも居た。
その手すりの感触を確かめながら上っていく。
【左は現在の階段、右は当時のはっちゃんの写真】
そして3F。
この階に懐かしい「音楽部」があるはずなのだ。
窓から降り注ぐ暑い日射しの中、音のする方に向かう。
あった!「音楽部」と段ボールに書かれた看板!
隣の部屋のビッグバンドのクラブ「ダッキージャズオーケストラ」前の廊下には、靴が散乱していた。
‥‥が、音楽部の前には靴が全くない。
ドアノブをひねってみるが、開く気配はない。
「夏休み」‥‥そうだ、夏休みだからなあ。
その昔、俺のいくつか先輩の時代、「長渕 剛」もこの部室にいたが、方向性の違いですぐに退部したという話を聞いたことがある。
音が漏れているのは、隣の「ダッキー」の部室。
ジャズのビッグバンドだから、定期的に集団練習があるのだろう。
トイレの中でさえも何故か懐かしい(^▽^;
昔の音楽仲間にこの様子をメールすると、「音楽部がまだその場所にある」という驚きの声と共に、「屋上はどうなってる?」とのリクエスト。
しばらくこの場所の空気を楽しんだ後、屋上に向かう。
ダッキーの部員だろう、すれ違いざまに「こんにちは!」の声。
「こんにちは!」と返す。気持ちが良いな(^-^)v
階段を更に上り、行き止まりの鉄の扉のノブをひねると、空に開いた!
その光景は!
目の前の立花山とコンクリートの床‥‥30年前と全く変わってない。
普通に見ると何の変哲もない光景だが、そこには確かに青春の汗と記憶が刻まれている。
思わず意識は青き季節にタイムスリップする。
あの日、ここには俺たち音楽部員達の笑い声が溢れていた‥‥。
しかし今、冬の寒い中で、夏の日射しの中で声を上げて弾き語りの練習をする同期生の、尊敬する先輩達の、ふざけ合う後輩達の姿はない。
‥‥当然と言えば当然か‥‥つかの間のタイムスリップは現実へと引き戻されるのだ。
学友会棟の階段を下り、あの日お腹を空かせて、カップラーメンを食べた自動販売機コーナーの横を通り再びグラウンドへ。
学生たちとすれ違いながら、川沿いの道を元の場所に歩いて帰る。
田んぼしかなかったデコボコ道で草ボウボウだった川沿いは整備され、マンションが立ち並んでいた。
ぐるりと見渡すとすっかり様変わりしてしまった。
と、そこに「志賀食堂」があった。
下宿から歩いて1分、食事のない日曜日、ここによく食べに来ていたものだ。
道の脇に猫が2匹寝転んでいる。
なでてやると迷惑そうな顔をしながらも、すり寄ってくる。
この光景だけ見ると、なんだか30年前に戻ったかのような気がする。
そのまま、直進して再び学内へと入る。
オープンキャンパス‥‥夏休みで学生はほとんど居ないが、なるほど制服を着た高校生の姿を見かける。
中央の広場から学生食堂の横を抜け、線路脇の上り坂を「図書館」へと続く道を登っていく。
ここは毎日のように登った道。
大学の敷地はかなり広い。
その中をとぼとぼ歩く五十男。
強い日射しは容赦なく、ペットボトルのお茶も少なくなってきた。
図書館前をぐるりと一回り。
今度は中央の階段を下って行く事にする。
この2号館は、俺が卒業した後に建った巨大な建物である。
今回おそらく、敷地の5分の1も巡ってないのだろう。
巨大な大学である。
しかし暑い~(◎-◎)
数十段の階段を下り切ると、オープンキャンパスの為であろうがちょっとした出店が出ている。
大学関係者に不審そうに見られながら、車を置いた場所へ戻っていく。
日陰には駐めたが、車内にはギターが積んであるので心配だ。
さあ、そろそろ今夜のライブ会場に向かわなきゃ。
時刻はもう12時半。
この場所に1時間半も居た計算になる。
暑くなった車に乗り込み、線路を渡り、一路香椎インターを目指す。
ここ「福岡市東区香椎」から、今夜のライブ会場である「由布市塚原」に向かうには、九州自動車道の「鳥栖ジャンクション」経由が良い。
左手に流れるのは、先程とぼとぼ登った坂と大学の全景、続いて学生寮「立花寮」。
ナビに先導され、程なく香椎インターに入る。
懐かしい風景が遠ざかっていくのを、目を細めながら横目で眺める。
さあ急がなきゃ、塚原でみんなが待ってるぜ!
さて、この長い物語はいよいよクライマックスへ!

この階に懐かしい「音楽部」があるはずなのだ。

あった!「音楽部」と段ボールに書かれた看板!
隣の部屋のビッグバンドのクラブ「ダッキージャズオーケストラ」前の廊下には、靴が散乱していた。
‥‥が、音楽部の前には靴が全くない。

「夏休み」‥‥そうだ、夏休みだからなあ。
その昔、俺のいくつか先輩の時代、「長渕 剛」もこの部室にいたが、方向性の違いですぐに退部したという話を聞いたことがある。

ジャズのビッグバンドだから、定期的に集団練習があるのだろう。

昔の音楽仲間にこの様子をメールすると、「音楽部がまだその場所にある」という驚きの声と共に、「屋上はどうなってる?」とのリクエスト。
しばらくこの場所の空気を楽しんだ後、屋上に向かう。

「こんにちは!」と返す。気持ちが良いな(^-^)v

その光景は!

普通に見ると何の変哲もない光景だが、そこには確かに青春の汗と記憶が刻まれている。

あの日、ここには俺たち音楽部員達の笑い声が溢れていた‥‥。

‥‥当然と言えば当然か‥‥つかの間のタイムスリップは現実へと引き戻されるのだ。

学生たちとすれ違いながら、川沿いの道を元の場所に歩いて帰る。
田んぼしかなかったデコボコ道で草ボウボウだった川沿いは整備され、マンションが立ち並んでいた。


下宿から歩いて1分、食事のない日曜日、ここによく食べに来ていたものだ。
道の脇に猫が2匹寝転んでいる。
なでてやると迷惑そうな顔をしながらも、すり寄ってくる。


オープンキャンパス‥‥夏休みで学生はほとんど居ないが、なるほど制服を着た高校生の姿を見かける。
中央の広場から学生食堂の横を抜け、線路脇の上り坂を「図書館」へと続く道を登っていく。

大学の敷地はかなり広い。

強い日射しは容赦なく、ペットボトルのお茶も少なくなってきた。
図書館前をぐるりと一回り。
今度は中央の階段を下って行く事にする。
この2号館は、俺が卒業した後に建った巨大な建物である。

巨大な大学である。

数十段の階段を下り切ると、オープンキャンパスの為であろうがちょっとした出店が出ている。
大学関係者に不審そうに見られながら、車を置いた場所へ戻っていく。

さあ、そろそろ今夜のライブ会場に向かわなきゃ。

この場所に1時間半も居た計算になる。
暑くなった車に乗り込み、線路を渡り、一路香椎インターを目指す。


ナビに先導され、程なく香椎インターに入る。

さあ急がなきゃ、塚原でみんなが待ってるぜ!

最終章を乞うご期待‥‥(^-^)v
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コメント
わ~~はっちゃんの若い写真!
フィンガーファイブみたい~~。
そう言えばおもかげがありますね。
はましおさんまでいる~~~~!レアな写真ですね。
昔住んでいた所がなくなったり、あったり・・・。
私も大学の時はお金なくて、女子寮で学年で一人6年間衛生士学校の生徒と過ごしました。
食費、光熱費込みで5万円でした。
後輩と相部屋でした。
5,6、年前その女子寮は無くなってしまったそうです。
残念です。
はっちゃんも、良い思い出になりましたね。
私も行きたかったです。
最近遠出してないので、行きたい~~~。
ブログアップお疲れさまでした。
投稿: SWEETyoko | 2011年8月 6日 (土) 00時58分
福津市ライブの日の夜は和白に宿泊したのですね。それも亀の井ホテルに。
昔通った大学、懐かしかったでしょう。私は福津から博多までJRで通勤しているため毎朝窓越しに見ています。大学の中に入ったのは2度ほど、香椎祭の時。音楽部が気になって見に行きましたが、学友棟へは入れませんでした。学友棟の廊下の写真や屋上の写真、懐かすィ~!ほんと毎日々練習しましたね。それとはっちゃんの下宿で思い出しましたが、30年前の記憶なので間違っていたらごめんなさい。4畳半の部屋にYAMAHAの1000M?スピーカ(かなりでかい)2個ブロックにのせて置いていませんでしたか?確か寝る場所がないのでは?と思った記憶があります。とにかく懐かしいの一言。当時の写真や音源などあればほしいなあ。では、また。。
投稿: トッケン先輩 | 2011年8月 6日 (土) 18時23分
> SWEETさん
フィンガーファイブ?‥‥確かに、昔流行ってたような(^▽^;
あの頃はこういうめがねが多かったよね。
はましおも若い!
昔居た街への旅も良い物です(^^)b
また現代に戻ってきて、頑張ろうって気持ちになりました!
投稿: はっちゃん | 2011年8月 8日 (月) 14時10分
> トッケン先輩!
そうなんですよ!
亀の井ホテルにみんな宿泊したんです(^^)b
先輩も見に行ったんですね!
香椎祭って今はどんな感じなんだろうなあ。
音楽部の部室内は変わってないんだろうかなあ。
先輩、正解です!
「四畳半の部屋にYAMAHAの1000M」‥‥他の部屋の苦情を受けながら、あんな思いスピーカ置いてました(^▽^;
監査(ミキサー)→オーディオマニアに向かい、バイトの金がみんなそこに行っちゃってました!
当時写真が趣味だった同期の平岡がかなり写真持ってると思うんですよね~♪
彼が提供してくれないかなあ‥‥って密かな期待してるんですけどねえ。
投稿: はっちゃん | 2011年8月 8日 (月) 14時17分
はっちゃん
大変お世話になりました。
あつきと二人プチ観光で良い思い出になりました。
志賀島の特集がテレビでやってたんですが、見た記憶があるところが
ドンドン出てきて…。行って良かったなと思いました。
たまには、ドライブもイイですね (*^ω^*)ノ彡
はる☆
投稿: はる☆ | 2011年8月11日 (木) 06時29分
> はるさん
またこんな機会があったらまた是非行きましょう!
観光がてらの遠征も楽しいもんですね(^0^)b
それにしても、あつき君は良い子デスね♪
投稿: はっちゃん | 2011年8月11日 (木) 10時30分